創立年月は詳らかではありませんが、今から約千五百年ほど前、
億計王(後の仁賢天皇)弘計王(後の顕宗天皇)がこの地にお忍びの際、久留美皇子ヶ谷の当神社に祈られたと伝えられています。
御祭神は素盞鳴尊を主祭神に、五男神、三女神の神々を御奉斎し、
古く久留美の庄の東北(うしとら)の方角の守護神(方除神)として祀られたとされています。
因みに久留美の庄の区域は、久留美配分坂より平井の笠松、宿原の境松、広野、小林の境松、南は広谷川を境として小林、興治の境松、東這田、高木の境松、加佐、平田の境松、久留美皇垣内に至る区域を久留美の庄と定めたとあります。(現在の三木市街地全域)
延元二年(紀元一九九七年)に皇子ヶ谷より現在の地に遷座せられ久留美、与呂木、平井、跡部の地区の産土神として尊崇せられております。
天正六年、豊臣秀吉が三木城主別所長治を攻むるに際し当社に祈り、落城後報賽のため五色の幣及び白旗を奉納し、御供田を寄進せられました。
毎年一月六日御弓祭、二月二十一日祈年祭、五月八日うら祭、七月七日祇園祭(七日間)、十月四日御酒口開祭、十月十日例祭、十一月二十五日新嘗祭、十二月八日御火焚祭の祭儀を古儀のままに斎行して氏子中を始め社会の安泰と繁栄を祈願し神恩に感謝しております。